Friday, January 02, 2009

One hell of a sentence.

自分は、この人間の世の中において、一生その意識に苦しめられながらも、しかし、それは自分の糟糠のつまのごとき好伴侶で、そいつと二人きりで侘びしく遊びたわむれているというのも、自分のいきている姿勢の一つだったかもしれないし、また、俗に、脛に傷持つ身、という言葉もあるようですが、その傷は、自分の赤ん坊の時から、自然に片方に脛にあらわれて、長ずるに及んで治療するどころか、いよいよ深くなるばかりで、骨にまで達し、夜々の痛苦は千変万化の地獄とはいいながら、しかし、(これは、たいへん奇妙な言い方ですけど)その傷は、しだいに自分の血肉よりも親しくなり、その傷の痛みは、すなわち傷のいきている感情、または愛情の囁きのようにさえ思われる、そんな男にとって、れいの地下運動のグルウプの雰囲気が、へんに安心で、居心地がよく、つまりその運動の本来の目的よりも、その運動の肌が、自分に合った感じなのでした。

I like Dazai Osamu. And one remarkable thing about this sentence, he avoids both ambiguity and repetition. In Japanese, that's a feat. One I finish this book, I'd like to see what Donald Keene made from it.

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